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生活

面白いことは特にない、ただの日記です(投稿後に、二三日かけて書き直します)

思いを致す

兵庫県南部で生活している以上、この日は避けて通ることが出来ない。
午前中に、訓練の警報が鳴った。
職場からの帰り道、神戸大橋を歩いて渡り、東遊園まで行くことにした。去年はポートライナーを途中下車して立ち寄った。
22年前に思いを致し、徒歩にて島から出ることにした。

その時は、交通機関がほとんど麻痺していた筈だ。30分余り歩いて、島から出て東遊園地に着いた。意外と近い。
手を合わせた。その場の雰囲気を感じ取ろうと努力した。特に何をするわけでなく、その場に居て雰囲気を経験する。それが大切なのだ。すでに日が暮れていたが、次々と人々が訪れていた。
22年前は長女の一歳の誕生日直前で、私たちの家族はロサンジェルス近郊のアパートに居た。妻は出身地が神戸に近く、実家も被災し、友人とも中々連絡が取れなかった。幸いに、直接の友人で亡くなられた方は居なかったが、2000年にこちらに引っ越してきてから知り合った方の中には、震災で家族を失った方がおられた。
子ども達は学校で震災に関する教育を受けていたはずである。
私は、毎年この日に6400名余りの死者たちに思いを致すことにしている。
帰宅後、夕食を済ませて走った。
長く歩いたせいか、駅からの帰り道はそれほど寒いと思わなかった。丁度帰宅した妻も、今日は暖かいと言っていたので、少し薄着で家を出たが、一旦引き返してオーバーパンツを穿いて、出直した。
山を走った。帰りに牛乳を買ってきてくれと妻に頼まれたので、最後は1literの牛乳パックを片手に持って走ることになった。
二日続けて長い距離を走っていて、少し疲れが残っているかと思ったが、意外と調子は良く体力的にも最後まで保った。
19.85km, 1h56m37s, 1180cal, u/d 453m, 5°
年末年始に掛けての不摂生で体重が増えて、元に戻らないまま走り続けている。


不幸な恋をしている人を止めるべきだろうか。
ここで言う「不幸」かどうかはきわめて主観的な感想である。もちろん、私の主観に基づいている。
話しを聴く機会があれば、聞き役に回り、助言を求められれば自分の経験に照らして何かを伝えることに意味があるかもしれない。
その場合、どちらか一方が親しい友人であるれば私は知らない方を悪者にしがちである。
どちらもある程度よく知っている場合はどうだろう。

見守るしかない。「見守る」というのはアクティブな行為だが、実際にはそのようなものではなく、「見守る」の中身は「放っておく」ことになるだろう。もう少し乱暴でありがちな表現を使うことも出来るだろうが、これはいわれた方が傷つくに違いない。。他に何か言いようがあるかどうか、考えても何も出てこない。


プレジデントエレクトのコミュニケーション能力にはかなり問題がありそうだ。最初からそうだった。候補者の討論会でも、大変下品な個人攻撃が始まり、論議は全く深まらなかった。あれは恐らく、選挙戦術として行ったわけではなく、彼のコミュニケーション能力の限界が露呈したと言うことだろう。特定の個人から彼に対する批判が出るとき、彼はその批判には答えずに、批判した人の個人攻撃を始める。これは多くの意見から合意形成を行っていく民主主義のプロセスに照らして、全くもって宜しくない。