生活

面白いことは特にない、ただの日記です(投稿後に、二三日かけて書き直します)

27年目の慰霊の道のり

数年前から、調べてみると2017年から、この日に歩いて帰ることを始めている。
2018年には歩いて家まで帰り着いた。
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今年も、その日がやってきて、私は歩いて橋を渡った。
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少し早めに職場を出るつもりでいたが、残念ながら会議が長引いた。その方の主張を私は理解したが、他の人たちには理解し難いように思った。私はオブザーバーの立場で参加していたので、発言は憚られた。結果、得ることの少ない論議が延々と続いた。
少し荷物を減らして、職場を出た。橋の上から水星を見られると思っていたが、すでに地平に沈んだ後だった。
東遊園に立ち寄り、その場の雰囲気を感じ取る。
幸いなことに、この季節にしては暖かい。少し風が強かった。
三宮の繁華街は人が多かった。繁華街を通り抜け、阪急の高架沿いを東に向かって歩いた。動物園までとりあえず向かうつもりでいた。
高架下はさまざまな店が出ていて、昔ながらの店の中にずいぶんおしゃれな店が混じっている。
阪急六甲を通り、石屋川から徳川道に入る。住吉川に達した後は少し回り道をして、岡本の梅園に立ち寄る。まだ梅の季節には早いが、薄い紅梅がちらほらと咲いていた。岡本梅園から天上川沿いを下って山手幹線に出て、たい焼き屋でたい焼きを一つ手に入れた。
このような行為を行う動機は、震災当時の不自由を疑似体験するためで、そういう意味ではその時には停電して街灯もつかず、コンビニも閉まって、自販機も使えなかったはずである。私は、腹が空いたらたい焼きを買い、いざとなればコンビニに寄ったり、無理と思えば電車に乗ることもできる。
山手幹線を歩き、芦屋川から2号線に下って、旧西国街道を通って自宅に向かった。おおよそ3時間40分。
疲れた。歩くのはきつい。走る方が楽である。
往時の市民の苦労を思いながら、歩いた。
有意義なイベントと思い、来年以降も続けるだろう。
私は生きている。
運命はまだ私に何も告げようとはしていない。
このようなことをできる自分自身を幸運と思う。
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