生活

面白いことは特にない、ただの日記です(投稿後に、二三日かけて書き直します)

ローラとの別れ

ついに、ローラと別れる時が来た。
25年ほど前、留学から帰国して、妻は里帰り出産で次女を産んだ。
その時に買った車がいつしかローラという名前で呼ばれていた。狭い自宅前のスペースに駐車していたら、自転車の出し入れで引っ掻き傷を付けられて傷だらけになっていた。
25年間で、110000kmほどの走行だった。私鉄が発達しているこちらに来てからは、あまり乗り回すことがなかった。
古い車なので、定期的な点検は念入りに受けていた。点検の度に新しい車を買わないかと誘われていた。
前回の車検で、いよいよ部品が手に入りにくくなっているとのこと。ディストリビューターという部品を中古品で交換することになり、これが最後の車検にすると覚悟を決めていた。
家族が六人で、全員乗れる車となると、結構な値段がする。できれば、最新の安全装置のついた車にしたい。次女に続いて長男も免許を取ることになっている。
新しい車を買うことになって、古いオデッセイは下取り、多分廃車になることだろう。スクラップにされることを考えると、かわいそうに思う。
我が家の様々な装備品の中で、最も長持ちしているのが車であった。
手放す日に、何枚か写真を撮って別れた。

ジョガーは日陰を走る

なかなか走るに走られない日々である。
加齢による衰えが顕著で、左膝の裏側が、走っていると疲労感が強く、痛みとして感じることがある。
思い通りに走ろうとするのは、かなり勇気が必要だ。
十分なストレッチや準備運動が必要なのだろうが、時間がない。場所がない、余裕もない。
月々お金を払い、ジムに通えばある程度解決するが、お金もない。


病気の流行が懸念され始めたときに、政府専門家委員会のオミ先生が、「ジョッギングは大丈夫なので、大いにやってください」というような発言をして、あららと思っていたら学校や職場が休みになった人たちが俄ジョガーとなって遊歩道に溢れた。この感染症の流行は、いろいろな意味で公衆衛生的にはプラスの影響があると思った。多くの人が、衛生面を気にするようになった。ジョギングを始めた。他にもある。
そのうちに、ジョギングは飛沫が広い範囲にばらまくというデータが出された。
加えて、日本国内で最も社会的に影響が大きいジョガーのノーベル賞科学者(山中教授)が、飛沫を飛ばさないようにマスクをして走るべきだとおっしゃった。教授の影響力は絶大なので、これは困ったことになったと感じたが、私は直ちに通販でジョギング中に顔を覆う布を手に入れた。教授は、感染予防というよりこの世の中のエチケットという趣旨の発言をしたと思う。
私も、エチケットであるという意見を持つ人がいることは理解する。
だから、その布で顔を覆う行為を「顔パンツ」と名付け、自嘲した。
ジョギングという、非生産的な行為のなかで、顔の中の口元を世間に晒すということは猥褻行為に等しいのである。(世の中が変わったのだ)
多少の息苦しさを感じながら、初夏のうちは安上がりな高地トレーニングのつもりで走っていた。真夏になって、暑さの中で本格的に汗を掻くようになると、パンツで顔を覆って走ることがどのような結果をもたらすか、なんとなく想像していた。実際に、梅雨の晴れ間の夏の最初の日に、私はそれなりに我慢強く暑さにも強いと自認しているが、そういう人ほど危険であることを実感した。
汗で濡れる速さと、汗が蒸発する速さのバランスが取れているうちは顔パンツ越しでも呼吸ができるが、顔パンツが汗で濡れ始めると、呼吸が困難になり、そこからは悪循環になる。
その後、神戸大学の岩田教授が、顔パンツのことを批判していた。彼もジョガーであるがそのようなものを着けずに走るとのこと。彼は、人出が少なく他人とほとんどすれ違わずに済む道を知っているというのだ。飛沫に暴露される他人がいないのであれば、マスクも顔パンツも不要である。道理であるが、何の解決にもならない当たり前の事実を言ったまでである。
私のジョギングは常に孤独である。マラソン大会に出場する時を除いて、誰かと示し合わせて一緒に走ることはない。今までずっと一人で走り続けてきた。
あえて、人気の少ない道を選んで走っていたと言って良い。だから私も、顔パンツを脱いで、走るかといえばそうではない。日中、人目があるときは顔パンツを被り、顔パンツを脱ぎたいのなら夜間である。
今の世の中で、あらゆる行為は感染のリスクを評価して折り合いをつける必要がある。私はそのことをはっきり自覚した。今後このウイルスの流行がどのようになるかわからないが、数年の単位で考える必要があるだろう。この1、2年の間に、マスクが不要な世の中に戻るとはとても思えない。つまり、マラソン大会のスタート地点に数万人のジョガーがマスクをして密集し、スタートを待つという話である。これはあり得ない。コロナの世界では、悠長にマラソン大会などやっている場合ではないのである。
同じような意味で、オリンピックもできないし、私は夜に人目を避けてコソコソと顔パンツを脱いで走るのである。


世の中が変わったことを理解していない人々と付き合うのは、それなりにリスクがある。
大学の教員たちは、苦労して遠隔授業に取り組んでいる。教育的にも、公衆衛生にもかなり効果があるはずだが、リスクを理解しない人は、従来どおり学生を大学に通わせて講義や実習をさせようとする。(文科省を含めて)
いまや、リスクを冒して講義室に学生を集めることにほとんど意味がないことに、気づくべきである。友情を芽生えさせたいというなら、他の手段を探せば良い。世の中は変わった。当分はマラソン大会はないし、学生は大学に通わなくても学業を修め、学位が取れるはずなのだ。
のびのびと、自由に走りたいのなら、そうできる場所を見つける必要がある。あらゆる行為にリスクが伴う世の中になっていることを自覚すべきだ。自覚できない人と生活することが、リスクとなる。
ジョギングがさっぱり楽しくなくなったという、愚痴である。

ライオンのような犬との生活

犬が我が家に来て3週間ほどになろうとしているので、思うことをメモしておく。
柴犬の雄である。名前は「未来」である。ミー君と呼ばれている。

獣医を介して保護活動をしている方を紹介された。柴犬の子犬を保護しているというので、興味があることを伝えて公園で面会した。
障害をもって生まれて、ブリーダーから保護された。盲目とのことである。
2ヶ月ちょっとの子犬。抱っこされて縮こまっていた。気長に時間をかけて探すつもりでいたのだが、何かの縁と思い里親になることを申し入れた。
先日まで家にいた柴犬(コロという名前)も白内障で失明したので、盲目の犬との生活の経験はある。
未来が我が家にやってきたときは、3kgほど。いわゆる赤柴である。指先が白く、靴下を履いているように見える。座っている様子は、まるでライオンのように見える。
彼は盲目であるが、つぶらな目をしている。まるで見えているように錯覚する。
我が家に来て1時間ほど、大人しく為されるままになっていたが、私がジョギングから帰ってきた頃にはもうすっかり慣れて、部屋の中を歩き回っていた。
目が見えていないことを意識することはあまり無い。意外なほど、普通である。
手振りや顔つき、表情のコミュニケーションができないので、声や床などを叩くこと、体を触ってあげることで、こちらの意思を伝える。彼は、匂いと音と「雰囲気」で周囲の様子を理解し、普通に歩き回っている。何か気になるものがあれば、まず舐めたり噛んだりする。いわゆる噛み癖はこの子の個性なのだろう。
こちらの表情を見ることができないので、叱り方が難しい。声の調子で伝える必要がある。
家族それぞれが役割をもって、未来の世話をしている。しつけが上手な三女が頼りにされている。次女は撫でるのが上手である。几帳面な長男は一生懸命指導している。長女は時々戻ってきて、犬と楽しく過ごしている。散歩が始まれば、妻と私が主に散歩に連れ出す役となるだろう。
犬の個性と思うが、大変活発である。見えていないはずだが、室内を走り回っている。
お座り、待て、は身につけて、いまはお手を教えているところ。
トイレのトレーニングは少しずつ。コミュニケーションは不利なので、粘り強く教えていく必要がある。
視覚以外の嗅覚や聴覚で周辺の判断をしていると思う。信じられないほど自由に部屋の中で遊んでいる。
階段から転落する危険性があるので、勝手に部屋から出ないように気を付けている。
部屋の中には余計なものを床に置かないように気を付けている。
音の出るおもちゃを選んで与えている。
今週末に狂犬病の予防接種を予定している。その後もう一度予防接種が終わると、散歩できるようになる。今は抱っこして、外を歩いている。家の外の雰囲気は感じているはずである。
保護した方によると、親犬はどちらも6、7kg程度のいわゆる豆柴だったとのことだが、この子は大きく育てたいと思っている。

息子の遠隔授業

一年遅れて大学生になった息子は、4月に大丈夫なのかと言いながら大学に行って直ぐに緊急事態宣言となり、結局ずっと自宅で授業を受けている。
私が大学教員という立場なので、息子の大学で何が起きてどう対策しているかある程度予想がつく、という意味で、他の新入生たちに比べると息子はかなり有利な立場である。
息子は一人部屋を持っており、少し古いがスマートフォンを使いこなしている。一応光ファイバーでインターネットにはつながっていて、Wi-Fiの電波が息子の部屋にも届くようになっている。
遠隔授業が始まるということで、情報端末を持たせることにした。
ちょっと古いiPadminiを息子に貸与した。キーボードがあった方が良いというので、自宅のパソコンの前にあったブルーツースのアップル製キーボードを使わせることにした。(自宅パソコンには余っていたヤクザなUSBキーボードを充てがった)
資料の印刷が必要だというので、インクジェットプリンターにインクを補充し、ヘッドのクリーニングをして印刷できるようにした。
息子はiPadmini+bluetooth keybordを実に有効に活用している。
大学生の能力は素晴らしいと思う。
授業は基本Zoomである。寝坊すると欠席扱いになってしまうのが、起きられない息子にとっては問題となる。
問題は「情報」の課題で、数年前の教科書に書いてあるマイクソフトワードの使い方を実習する。基本はウインドウズ版のワードについての記述なので、それをiOS版に読み替えて実習する必要がある。息子は色々と私を頼りにするが、検索したら大抵は解決するぞ、という返事。もうiOSのワードをかなり使いこなしている。どうしても無理な場合は古いMacBookAir11インチの出番である。2011年のモデルであるが、なんとか使えている。次女もこれを使っていて、キーボードの矢印キーが壊れている。
これから卒業まで、パソコンは必要だろうと思い、息子に買わせることにした。資金は入学の祝金や政府から給付されたお金など、十分にある。
MacBookAir 13" で、先のことを考えて少し容量が大きめでメモリもちょっとだけ増やした。
二週間ほどかかるとのこと。息子がゴールドが良いというので、金色を選んだ。
十分に活用してくれるはずである。

通勤

通勤は世の中を覗く窓のひとつである。
職場に行き来する間に私は世の中の様子を垣間見る。
コロナウイウルス流行に対処するために、バイク通勤を始めた。職場でもそのような行動を奨励している。
以前はバイパスの43号線を利用することが多かった。少し遠回りになるが、2号線を利用することにしている。
交通がスムーズである。43号線より走りやすい。
今年の梅雨は雨の日が多く、バイク通勤もままならないことが多かった。電車は以前とあまり変わらないくらい混雑している。私は席が空いていても座らないし、つり革も掴まないようにしている。同じような行動をとる人は結構いると思う。電車の中では緊張を強いられる。バイクの方が気楽である。
大型バイクなので、真夏になるとかなりきついと思う。炎天下のバイク通勤は相当なストレスである。
真冬になってもきついだろう。私は寒さが苦手である。
このような事情なので、今は通勤定期を買わず、基本バイク通勤、天気が悪い時は公共交通機関(阪神電車とバス)を利用している。コスト的には(どこまでを通勤のコストに含めるかによるが)ガソリン代と乗車料金の差し引きだけ考えると、少し浮いていると思う。
通勤中に世の中の様子を見る。電車からは車内の様子、車窓からの景色が見える。
バイクに乗っていると、街の中の雰囲気を感じ取ることができる。バイパスを通っていた時にはあまりわからなかったが、今は東灘、芦屋の街中を通るので、いろいろな人々の生活の様子を感じ取ることができる。
いくつかの窓を開けておく必要がある。