生活

面白いことは特にない、ただの日記です(投稿後に、二三日かけて書き直します)

拾ったキーボードを掃除する

パソコンを使うのに、キーボードやマウスなどの入力機器は作業の能率を上げる上で大変重要と感じている。私は先日HHKBに投資し、いまiPadに繋いで使っている。大変使いやすいと思う。
職場で主に使っているMacBook Pro13"は、少し古いFilcoのフルサイズのキーボードと、パソコン本体のトラックパッドで使っている。ディープスリープから復帰したときにキーボードが認識されず、毎朝のようにUSBケーブルを挿し直す作業を強いられる。認識された後も誤動作することがある。どうもおかしい。
朝に一度抜き差しすれば繋がるとはいえ、できればそのような不都合は解消したい。
退職した同僚が、部屋に残していった雑多なものの中にいくつかキーボードがあった。廃棄の前に、欲しいものがあったら持っていってほしいと声を掛けられ見に行って、少し古いが、REALFORCEという有名なキーボード(しかもUSのキー配置)が一台あったので貰ってきた。
引き受けてから、後悔した。
キーボードはパーソナルな道具故、使っている人の手垢や様々なものを吸い込んでいる。キーキャップの隙間に埃や様々なものが紛れ込んでいる。自分が心から敬愛する大先輩や、大スターの中古品をケースに入れて飾るというならともかく、馬の骨が使い古したキーボードを引き受けて使うなど正気の沙汰ではない。言うなれば、使い古しの歯ブラシをもらうようなものである。
後悔しながら、クリーニング作業に取り掛かった。私の職場は、キーボードの掃除に便利な色々な道具が揃っていて、自分のキーボードも時々掃除している。恵まれた環境と言える。キーキャップを全部外し、洗剤に浸して超音波洗浄機にかけた。キーキャップを外した本体は、掃除機で埃を吸い取り、アルコールを染ませた綿棒で掃除した。
洗浄したキーキャップを念入りに濯ぎ、ペーパータオルの上で水気を取り、綿棒で溜まった水を吸い取りながら、キーキャップを取り付けた。ちょっと使ってみたところでは、完全に動作するようだ。
所有者がこのキーボードで何を入力していたのか、歴史的な何かでは無いにせよ、考えたくもない。呪いがかかっているようなことはないと思うが、使い続けるかどうか、わからない。
使い心地という面では、今まで使っていたキーボードより大きく机のスペースを塞ぐ。キーストロークが相当深い。
買うと30KYくらいの出費になるようだ。ちょっと考える。


Jリーグが開幕して、テレビ観戦した。webサービスをテレビに映して観る。ぼやけた画像でWiFiの調子が悪いのかと思っていたが、眼鏡をかける必要があったようだ。
試合は、一方的な展開で、こちらの作戦が大変うまくハマった印象である。ハーフタイムにジョギングの服装に着替えて、試合中も準備運動をしながら見て、ゲームセット後にジョギングに出かけた。
緊急事態宣言の間、夜に走るのは諦めている。平日は仕事帰りにウォーキング。10km余りを2時間弱歩く。土日、祭日に明るいうちに走る。
日中はできるだけ人通りに少ない道を選んで走る。必然的に山に向かうことになる。今日も山の中を一周回った。結構良いペースで走ることができた。結果的に2月は300kmを超える距離となった(ウォーキングを含む)
厳しい環境の中でやりたいことをやるには、工夫することが必要ということと思う。

朝の散歩

大抵は、1時間くらい前にいったん目が覚めて、スマートフォンの画面を覗き込み、まだ早いと目を閉じる。時はいつの間にか過ぎて、スマホの2度目か3度目のアラームで目覚めることが多い。
寝室の襖を開くと、私が起きてくるのを寝床で待つ犬と目が合う。
犬を待たせている間に身支度をして、朝食とコーヒーを用意する。グラノラに牛乳をかけてごく簡単な朝食を済ませる。コーヒーは、いちいちミルで豆を挽いてあとはコーヒーメーカーに任せる。
朝食の間、犬くんはじっと待っている。
私が身支度を始めると、私の足元にまとわりついてくる。散歩は楽しみにしているようだ。
ハーネスとリードを付けて、階段を降りられない犬を抱っこして玄関に降りる。
以前はこちらが身支度している間に居間で放尿することが多かったが、最近は外に出るまで我慢できるようになった。
遊歩道を北に向かって歩くか、南に向かって浜に行くか、その日の気分と天気による。風が強い日には浜には行かない方が良い。
時間と気持ちに余裕があれば、楽しい散歩になる。
犬くんは私を急かすように、早足で真っ直ぐに歩く。ほぼ決まった場所で排便する。マーキングが上手くできないのは視力の問題と思う。それでも、熱心に匂いを嗅いでいる。
私が予定通りに目覚めれば、30分と少し、余裕を持って散歩できる。歩いている間に、他の散歩中の犬とコミュニケーションが取れるようになってきた。
音にはとても敏感で、立ち止まって歩かなくなることがある。そういう時は一緒に立ち止まって少し待つ。声を掛けて首元をさすって励ます。すると渋々と歩き出す。
帰り道は、路上のいろいろなものを咥えようとする。松ぼっくり、石ころなど。理由はよくわからない。
彼が道を覚えているかどうかもよくわからない。あまり良く見えていないのは確かなようだ。全く見えていないわけではないと思う。

餃子を作る

週に一度、私が料理を担当すると宣言して、おおよそ1ヶ月余り。
やり始めると、楽しいが結構忙しい。何しろ、

  1. 何を作るか決める
  2. レシピを選ぶ
  3. 買い物をする
  4. 下拵えをする

そのようなことを、毎週金曜日までに見通しをつけて、日曜日夜の食卓に家族が全員で食べられる料理を用意しなくてはならない。
結構忙しいのである。
土曜日に買い物を済ませ、日曜日の夕食に間に合わせる。
緊急事態宣言下で、土日は日中にゆっくり走るつもりでいるが、日曜日は余裕が無くジョギングも早々に切り上げることになった。
何を作るか決めるところは、今までに食べて印象に残っているものを作ろうとするわけで、私の今までの人生の一部が反映されていると思う。
もちろん、妻が作ってくれる色々な料理の中に私の好物がたくさんあるけれども、とりあえず何を作るかということを考えるときに、私が子供の頃に食べていた母の料理が影響するのである。
子供の頃に食べた料理を思い出しながら、メニューを決める。先日作った水炊きもそのひとつだ。
今週は餃子を作ることにした。
母がよく餃子を作ってくれた。私は餃子を包むのを手伝った。だから、私は餃子を包むのがとても上手だ。
今回は、餃子の皮を自作することにした。餃子の皮の自作については、大学院生の頃に、中国人の留学生が教えてくれて、経験がある。
彼らは、ビール瓶で上手に餃子の皮を伸ばしていたはず。それほど難しいことではないはずと思いつつ、餃子の皮のレシピを探す。
長女が彼氏を連れて餃子を食べにくることになり賑やかな夕食になる。前日から準備にかかる。餃子の皮の種を用意した。
小麦粉、塩など混ぜて水を加えて捏ねて、塊にして、細長く何本かの棒状にしてラップに包んで冷蔵庫で寝かせる。
日曜日の昼過ぎから皮を作る。まな板に片栗粉を振って綿棒で種を伸ばす。おおよそ10g程度を伸ばすとちょうど良い大きさの皮ができるようだ。作っているうちにだんだん上手になり、うまく伸ばせるようになってきた。うまく伸ばせるようになると、伸ばしすぎて皮が薄く大きくなる。餃子を包むにはある程度の厚みが必要である。
具を作る要点は、野菜の刻み方と思う。包丁を研ぐところから始める。刃物の研ぎ方は、中学校の技術課程で学んだ。
野菜はキャベツでも白菜でも良いということだが、白菜にした。今にして思うと、子供の頃に食べた餃子には椎茸が入っていたはずだが、今回私が見つけたレシピには、椎茸は出てこなかった。
丁寧に、白菜、ニラ、生姜を刻んで、ひき肉と混ぜる。おそらく、細かく丁寧に刻むほど食べやすい餃子になるに違いない。ひき肉と混ぜて捏ねる。良い感じにネタができて、懐かしい気分になる。先ほど伸ばした皮でくるんでいく。餃子を包むテクニックはそれなりにあるつもりだが、皮を麺棒で薄く伸ばしすぎたようだ。大きすぎる上に薄っぺらく、包むのが難しい。具の量もよくわからず、とにかく形にしていく。なんだか皮が足りないと思いながら作っていくと、ずいぶん具が余ってしまった。市販の餃子の皮を20枚追加して、包むと自分の用意した皮が薄っぺらすぎて大きすぎることがよく分かる。それでも具が余ったところで、妻が冷蔵庫に餃子の皮の材料が一本残されているのを見つけ、追加の皮を作った。市販の皮を参考に大きさや厚さを調節し、大変良い塩梅になった。
フライパンで焼いて、蒸して出来上がり。
もう一度作れば、遥かに食べやすい餃子ができると思う。近日中にまたチャレンジしたい。
残念ながら、画像は残していない。

母の命日

命日は年に一度巡ってくる。
母の3回忌だが、緊急事態宣言(新型コロナウイルス感染症の流行)の影響を受けた。
実家のある北海道では一段落したようだが、私の居住地では依然として緊急事態宣言が解除されていない。父や姉妹には申し訳ないが、帰省を見送った。
代わりに花と菓子、お酒を送った。
親族に会えないのは残念だが、やむを得ない。運が良ければどうということはないのはわかっている。
母の命日に、遠く離れた自宅で、母の遺影を食卓に置いて、線香を焚いて、母の思い出を語りながら家族でケーキを食べた。
私にとって、母の思い出が薄い理由を考えた。母は長く患っていた。

色々なことが思い浮かぶ。いつか整理して考えてみたいと思う。


歩いている。
走る時間がなかなか取れずに、歩くことにした。
職場から、途中の駅まで歩いて電車に乗る。おおよそ12kmほど歩くと青木駅までたどり着く。
走るのと歩くのでは、運動の質、そして得られる成果がずいぶん違う。使う筋肉が違うようだ。歩くときついが、だからといって走るのが早くなるわけではない。そもそも、歩くのに腕はほとんど使わない。心肺にかかる負担も少ない。いくら一生懸命歩いても、走るのが速くなるわけではない。残念ながら。
日が暮れて暗くなってから、毎日同じような道を2時間近く歩くことは、結構なストレスであまり楽しくないことがわかった。

通販

色々なものを通販で買う機会が増えている。
今まで使っていたものと同じもので良い場合や、買い足さねばならない衣類などは、わざわざ店頭で探すより通販の方がメリットが大きく、合理的に感じる。あとは価格と送料の兼ね合いである。
ジョギングシューズは年に3足ほど履き潰す。気に入ったシューズのサイズもわかっているので、通販サイトでディスカウント価格で売られているものを見つけたら、二足くらいまとめ買いする。BrooksかNewBalanceの8.5D。それ以外を買うときは、通販では無理で店舗で試着する。
普段はブルージーンズを履いている。4本くらいをローテーションさせている。この30年くらい、つまり物心がついてからLevi's501を穿き続けている。穿き続けていると、同じ型番・サイズでも時期によって履き心地がずいぶん違うのに気付く。妙にウエストが緩かったり、腿がキツかったりすることがある。キツいはともかく、ゆるいのはやや残念に感じるが、ウエストが緩ければベルトを使うのである。
サイズは最も細いものなので、それが緩くて穿けないと言い出すと、もう自分に合うサイズがないことになる。ジャストフィットと言えなくても、Shrink-to-fitで穿きながら合わせていくのである。穿いているうちに何となく良い雰囲気になるが、10年以上も穿き続けているとそのうちにヒップなど肝心なところが擦り切れて、諦めざるを得なくなる。そうなると、妻が情け容赦なく切り裂いて、台所の雑巾がわりに使われてお払い箱に入る。
何年かに一本がこういう運命を辿るので、その都度に一本を買い足す。
今回初めてジーンズを通販で購入した。
サイズは決まっていて、色はオリジナルの真っ青を買うことにしている。
f:id:namnchichi:20210217075502j:plain
Levi'sのサイトを見ると、高い。結局、Amazonで検索して、選んだ。裾は切らなくても穿けるので、通販で十分。なぜ今まで通販を使わなかったのか、自分でもよくわからない。届いたジーンズにはドル表示のタグがついており、アメリカから輸入したのだろう。製造国はエジプトとなっていた。
まずは一度洗って、それを大切に穿いて体に馴染ませていく。そういう過程はちょっと楽しみでもある。
ジーンズは若い人の方が似合う。私はずいぶん歳をとって尻の筋肉が落ちた。ややみっともない感じになっている。体重やウエストのサイズは変わらないが、姿勢が悪くなっている。自分を見直す必要があると思う。