生活

面白いことは特にない、ただの日記です(投稿後に、二三日かけて書き直します)

豆文字考

まず、豆文字について、おさらい。豆文字とは、小さくて読みにくい文字、あるいはフォントのことです。フォントの大きさというのは、相対的なもので、他の多くのサイトに比べて、比較的に小さなフォントサイズで表示されるサイトのこと。
女子中高生のサイトで、豆文字がよく使われているそうです。何となく分かります。女子中高生は丸文字とか、顔文字とか、色々なことに熱心ですから。彼女たちがのめり込む多くの要素は、内側に向いています。彼女たちにとって、ウエブサイトは、おそらくは内側に向いたコミュニケーションの道具です。つまり、同じ趣味を持った同士、立場を無理なく分かり合える同士が集う場所。そういう世界がネット上の何処かにあるのだろうと思うが、私には何の関わりもないことです。
彼女たちが、ヤフーやグーグルで、検索する方法を知っているかどうか、心もとありませんが、もし知っているとして、「ヨーグルト入りのホットケーキ」を日曜日の朝、家族にご馳走しようとして検索して、おやこニュースlがリストの一番上に出て、クリックしたら妙に字が大きいページだったとしたら、彼女たちはどうするのか?字の大きいサイトには共感できないと、無視するか?そうはしません、多分。ホットケーキのレシピは、文字が大きくてもオーケィなのです。内容が定かであるかどうか、確かめることもしないかもしれません。内容の信憑性の判断はネットを利用する上で極めて重要ですが、外向きの彼女たちにそういった常識を求められるかどうか、私には分かりませんが、それはこの話の本筋からはずれてしまいます。彼女たちは内向きと外向きを無意識に使い分けています。
私は、ウエブサイトを交流の目的にしていません。おやこニュースは、ほぼ完全に外に向いています。それらを求める他人に見せるためのものです。見せようとしているのは、サイトのフォントや、デザインではなく、文書そのものです。
交流が目的というサイトも多々あることは承知しています。ネットの性格上、その交流は相手を選ぶことは出来ませんし、交流そのものにたいへん時間が取られます。
内向きにやっている分には、豆文字は全然構いません。私には何の影響もない。小さい文字が好きな人と交流したいなら、自分のサイトの文字も小さくした方が良い、というのは、おそらくその通りでしょう。外に向かう必要がないなら、好きにしていたら良いです。ネットの公共性に関して、全く問題がないとは云いませんが、現在のところ、そういうことは十分に許容される状況だと思います。
ただし、自分では内向き、同好の士が集まると思っているサイトでも、実際は少女たちのモニタ上の世界ではなく、公共にさらされているという意識は、いつか持つことがあると思う。招かれざる訪問者が出入りすることもあり、折角の小さな文字を、大きく拡大して見ている人も居るかもしれません。(私はマックを使っていますが、文字サイズを拡大できないページは見たことがないのです)そういった、彼女たちにとっての闖入者を拒絶することが出来ず、全ての人が必ずしも、彼女の期待するようにほーむぺーじを見るわけではないと云うことは、理解しておかなくてはなりません。
だいたい、豆文字を愛する少女たちがどうやってほーむぺーじを作るのか、分かりませんが、彼女たちはフォントサイズを小さく指定し、できあがったページを自分のモニタに映してみるわけです。エクスプローラのフォントサイズの設定の仕方さえ知らない、と云うのが本当かどうか分かりませんが、自分で作って、自分で見ている分には、デフォルトの設定のままなら、相対指定だろうが全然問題を感じないはずです。どうして彼女たちが、フォントサイズの絶対指定などという裏技に気が付くのか?(絶対指定というのは本当に出来るのでしょうか?)そして、自分のサイト以外のほとんどのサイトが巨大なフォントであることを、彼女たちがどう思っているのか、不思議な気分です。徳保さんは、彼女たちがフォントの大小でサイトを選び、彼女たちに受け入れてもらうには小さなフォントを使う必要がある様なことを真に受けていらっしゃるようですが、彼女はそのときそういう気分で居たのかもしれませんが、女子中高生の多くがそれほど了見が狭いとは思えませんし、それを一般論のように引き合いに出すのは、何か、妙です。妙、以外に、適当な言葉が見つかりません。
私がかつて悩んだように、彼女たちも、自分のサイトが自分の思ったように表示されていないと気付き、悩むことがあるでしょう。フォントサイズの絶対指定など、一時しのぎの慰めにしかならないのは明らかです。別に他人に見てもらう必要がないのなら、どうだって良いのです。font size="1"と書けば、それで済むわけです。絶対指定の裏には、他の人にも同じように見てほしい、と云う心理があるということです。彼女たちにとってほーむぺーじがどれほど価値のあるものか知りません。一時の流行で終わるかもしれません。積み上げて、社会に出ても持ち続けるとしたら、そのうちに豆文字の無意味さに気が付くでしょう。