生活

面白いことは特にない、ただの日記です(投稿後に、二三日かけて書き直します)

柵を気にする

とりあえず、辞書を引いてみる。と云っても、システムソフト電子辞書だが。

#木材などを立て並べ、貫(ぬき)を通して造った囲い。また、しがらみ。
#柵(1)を結って敵に備える場所。とりで。
[株式会社岩波書店 岩波国語辞典第六版]

貫を通すのが、柵か。漢字は表意文字だし。帯付きのポールが柵かどうかは、考慮の余地がある。別にどうでも良いことだが。
通勤途中、柵が気になった。
柵は、

  1. 二次元的区画を作るためにある。
  2. 流れを制御するためにある。

この二つだろう。
同じ柵でも、場所と、その人の立場によって、意味づけが異なる。
崖っぷちの道路にあるガードレールは、流れを制御するためにあり、人通りの多い狭い道にあるものは、区画を作るためにある。歩行者には、歩道を独立させて身を守るものであり、運転手には、通行人と車道を区画化するためであり、なおかつ、歩行者の行動を制御するためである。
広い目抜き通りのガードレールは、単に区画を明示するためだろう。
様々な柵が、色々な意図で設置されている。中には、無意味なものもある。単に美観を損ねるだけであったり、不便を強いるものであったり。
それらがどのような意味を持ち、どう対処するべきかは、全く一概には云えない。場合によっては、経験と、深い洞察力が必要となる。
なかなか手強いのだ。柵があったら、何かあると用心した方が良い、ということまで、私は思い及ばなかったが、真理であるように思う。そういう視点で街を眺めると、随分と無駄な柵が多いとも感じる。現実的には、補助的な情報(注意書きの類)があった方がよい。