生活

面白いことは特にない、ただの日記です(投稿後に、二三日かけて書き直します)

フィルタリングの馬鹿馬鹿しさ

今まで、何度かフィルタリングについて意見を書いてきた。

私は青少年を保護する目的のフィルタリングには、全く否定的だ。
私自身が経験できるフィルタリングは、例えばKids gooのようなものだ。

theOYAKONEWS@Hatenaのトップページはフィルタリングに引っかかって使えない。
さて、例えば、学校でインターネット教育をするときに、フィルタリングソフトの需要があるらしい。

子どもたちが、ついうっかり猥雑なサイトにつながってしまう可能性は大変低い。クリックする前に不審に感じたら教師に尋ねるように指導するのが筋だ。我が家では子どもたちにそのように指導している。フィルタリングが掛かると、何所でも片っ端から、一切考慮せずにクリックすることを許すことになる。むしろ教育上宜しくない。
フィルタリングは教育上の配慮というより、むしろ指導する立場にある物の手抜きが目的だろう。私は以下のようなことを書いている。

フィルタリングの基準、有害語リストや有害URLについては、公開されていないらしい。私のページのいくらかが表示されないのは、有害と認定されたからなのか?理由を知らせて欲しい気がする。また、末端のページは表示されて、そこからトップページへのリンクが繋がらない。トップページや、自己紹介のページなど、サイトの信頼性を考える上で重要なページが有害なのか、繋がらない。勝手に出して勝手にリンクを切る、こういった態度は大変自分勝手なもので好ましくないように感じる。子どもたちにそのようないびつなネット環境を教えることに何か意味があるのだろうか。
goo推薦の安心サイトだけをいったり来たりさせるなら、別段インターネットを使う必要はなく、百科事典で十分だろう。

インターネットは受け手の情報リテラシーを高めることが重要。教育的配慮でフィルタリングというのは逆効果。判断が付かない子どもたちに情報端末を任せることが間違っている。