生活

面白いことは特にない、ただの日記です(投稿後に、二三日かけて書き直します)

一々下らないものを下らないと表明せずに無視することのストレス

はてなブックマークがリニューアルされたが、わたしはそれ以前からお気に入りを重宝して使っていた
私のお気に入りたちは、数多くの興味深いURLを私に紹介してくれた。
私は、お気に入りのページから、ブックマークしているユーザーのページにジャンプする。概要を把握できる。ブックマーカー達のコメントを読めるから、そこから自分が取るべき行動について示唆が得られる。私はそれほど自分が選んだブックマーカー達を信頼している。
貴重なのは、シングルユーザーブックマーカーだ。この場合、ブックマークしているユーザーのページはそれほど役には立たない。シングルユーザーブックマークのページは、と、ここまでは電車の中でアイホンに向かって打ち込んでいた。ちょっと電車に酔った。



阪神で三宮から梅田まで。駅長室で昨日置き忘れた傘の在処を尋ねたら、見つかった。梅田から折り返し、西宮まで。
帰宅したら、すでにブックマークが1つ付いていた。本題はこれからなのに。ちょっと思わせぶりなタイトルだったかも。


単刀直入に書き進めよう。シングルユーザーのブックマーカーは貴重だという話だった。
しかし、要点はそこではない。id:ekkenをお気に入りに入れておくことの是非だ。彼は、実にいろいろな馬鹿げたものを見つけてくる。そして、これは非道い、非道すぎるタグを付ける。
私は彼のブックマークを眺めて、良くこのようなものを見つけてくるなぁと、感心する。彼だって、決して暇ではないはずだ。
「馬鹿げたもの」と書いたが、興味深いのだ。私のお気に入りのメンバーの中で、唯一彼だけがカバーしてくれる領域がある。私はそれに興味をそそられる。そそられるのだが、余りに馬鹿げている。馬鹿げたことに熱心に行数を割いて、空改行までふんだんに織り込んで、下らない主張を展開する人を見かける。こいつは馬鹿かと思う。余りのくだらなさに、これは非道いとつぶやき、こいつは下らないと罵倒する。罵倒は頭の中を駆け巡る。口には出さない。パソコンの画面に向かって罵倒を音声にしても仕方がない。そういう下らない主張を展開する人たちに、私のアドバイスが良い方向に導くとは到底思えない。連なるブックマークコメントの中に紛れてひとこと罵倒の言葉を述べたり、あからさまな皮肉を書くことを私は潔しとしない。つまらないことをくどくどと大げさに回りくどく書いていることに対して、ひとこと「長い」と論評する程度だ。
結局、私は下らないものを下らないと表明せずに、押し寄せてくる日常に身を任せてしまう。多忙な日常か、はたまたいちいち表明せずに呑み込んでしまうこと、そのどちらかが、私にとってストレスのようだ。
つうか、余りの馬鹿馬鹿しさに、スルー、あるいは思わずひとこと口を出す。どちらか選ぶとしたら、私はスルーなのだが、余りに興味深い馬鹿馬鹿しさを紹介されると、思わずひとこと口を出しそうになるが、それをじっと堪えるのがストレス。要するに、楽しませてもらっているということ。