生活

面白いことは特にない、ただの日記です(投稿後に、二三日かけて書き直します)

フライドチキンを食す

  • 1月14日

今から23年前に、家族は埼玉県に住んでいた。
うららかなお天気の午後、三女が生まれた。その晩に大雪が降った。関東に生活する人々は積雪にあまり慣れていないので、雪かきの道具が無くてみんな困っていた。ちりとりとか色々ととても役に立ちそうにない道具(ミュージシャンは譜面立てを使っていた)で雪かきをしようとしていた。
長女と次女を連れて、妻と三女に会いに産院に向かった。我が家の車は将来北海道で生活する可能性を考慮してパートタイムの4輪駆動車だった。降雪の予報を耳にしたのでタイヤチェーンも用意していた。そして、私は雪道の自動車運転の経験が十分にある。この車に乗った24年間の間に4輪駆動になっていると感じたのはこの時だけである。タイヤチェーンも結局この時に一度使っただけだった。
当時は、成人の日が1月15日固定で、関東地方の新成人の多くが突然降り積もった雪に困惑していた。
我が家では誕生日には、夕食のメニューをリクエストする権限がある。
三女は誕生日のディナーにKFCをリクエストしてくれるので、我が家ではフライドチキンを食べる日になっている。追加でチョコレートケーキも用意されていて、誕生日ディナーが終わると満腹になっていた。とても走れる雰囲気ではなくなったので、ジョギングは諦めた。
そのような思い出話を妻としていて、色々とやりたいという気持ちはあるものの、それが空回りして実行できなくなるのが、歳を取ることではないかと指摘され、大変腑に落ちた。少し前にはあまり苦もなくできていたことに苦労することが増えていく。それは言葉は慎重に選ぶべきだが、「老化現象」という言葉を充てる状況かもしれない。
今まで、5年あまりジョギングして、私は随分と色々な道を経験し、今日はそのうちのどれを選ぼうか考えてワクワクするのだが、結局計画倒れに終わることはかなり辛いのである。そういうことがこれからは増えていくだろう。

  • 1月15日

少し寝坊し、犬くんとの散歩を終えるといつもの電車には乗れない時間になっていた。緊急事態宣言の効果を探る意味で、いつもの電車に乗りたいと思っていたが、一本遅らせた。電車は、まぁ普段通りの混み具合。バスはいくらか空いていたように思う。
帰宅後は夕食を済ませて、ジョギングへ。準備にも結構時間がかかる。それから犬くんが、私の着替えを邪魔する。打出の駅前から阪神芦屋経由で鳴尾御影線へ。阪神御影駅前を通り10kmで引き返すつもりでいたら、都賀川の少し手前で引き返すことになった。御影駅前は閑散としていた。帰り道は、旧西国街道から2号線に出て戻ってきた。体力的にかなり落ちている。脚力も、心肺機能も目一杯になる。もたない。
世の中の様子に目をくばりながら走った。個人営業の店はほとんど閉店していた。
政府の感染症対策の大筋がうまくいっていない。
今は1日の感染判明が5000人程度の状況で、いい加減な感染予防策で少し減るだろう。緊急事態が解除されれば、また感染が広まって、第4波がきた時には1日あたり数万人の感染になるかも知れない。今でも、緊急事態宣言発出地域では保健所業務が追いつかず、検査待ちになっているケースが多々あると見られる。
この件に関しては、全く明るい展望は期待できない。今後予定されている様々なイベントが、次々と中止や延期に追い込まれると思う。中止して済むことならそうすれば良いが、なかなかそうできないこともある。
政府が対応を間違えているように感じる。いつまで我慢することになるか分からないが、適切な感染対策を取ることができる政権に交代してもらう必要があると思う。