生活

面白いことは特にない、ただの日記です(投稿後に、二三日かけて書き直します)

餃子を作る

週に一度、私が料理を担当すると宣言して、おおよそ1ヶ月余り。
やり始めると、楽しいが結構忙しい。何しろ、

  1. 何を作るか決める
  2. レシピを選ぶ
  3. 買い物をする
  4. 下拵えをする

そのようなことを、毎週金曜日までに見通しをつけて、日曜日夜の食卓に家族が全員で食べられる料理を用意しなくてはならない。
結構忙しいのである。
土曜日に買い物を済ませ、日曜日の夕食に間に合わせる。
緊急事態宣言下で、土日は日中にゆっくり走るつもりでいるが、日曜日は余裕が無くジョギングも早々に切り上げることになった。
何を作るか決めるところは、今までに食べて印象に残っているものを作ろうとするわけで、私の今までの人生の一部が反映されていると思う。
もちろん、妻が作ってくれる色々な料理の中に私の好物がたくさんあるけれども、とりあえず何を作るかということを考えるときに、私が子供の頃に食べていた母の料理が影響するのである。
子供の頃に食べた料理を思い出しながら、メニューを決める。先日作った水炊きもそのひとつだ。
今週は餃子を作ることにした。
母がよく餃子を作ってくれた。私は餃子を包むのを手伝った。だから、私は餃子を包むのがとても上手だ。
今回は、餃子の皮を自作することにした。餃子の皮の自作については、大学院生の頃に、中国人の留学生が教えてくれて、経験がある。
彼らは、ビール瓶で上手に餃子の皮を伸ばしていたはず。それほど難しいことではないはずと思いつつ、餃子の皮のレシピを探す。
長女が彼氏を連れて餃子を食べにくることになり賑やかな夕食になる。前日から準備にかかる。餃子の皮の種を用意した。
小麦粉、塩など混ぜて水を加えて捏ねて、塊にして、細長く何本かの棒状にしてラップに包んで冷蔵庫で寝かせる。
日曜日の昼過ぎから皮を作る。まな板に片栗粉を振って綿棒で種を伸ばす。おおよそ10g程度を伸ばすとちょうど良い大きさの皮ができるようだ。作っているうちにだんだん上手になり、うまく伸ばせるようになってきた。うまく伸ばせるようになると、伸ばしすぎて皮が薄く大きくなる。餃子を包むにはある程度の厚みが必要である。
具を作る要点は、野菜の刻み方と思う。包丁を研ぐところから始める。刃物の研ぎ方は、中学校の技術課程で学んだ。
野菜はキャベツでも白菜でも良いということだが、白菜にした。今にして思うと、子供の頃に食べた餃子には椎茸が入っていたはずだが、今回私が見つけたレシピには、椎茸は出てこなかった。
丁寧に、白菜、ニラ、生姜を刻んで、ひき肉と混ぜる。おそらく、細かく丁寧に刻むほど食べやすい餃子になるに違いない。ひき肉と混ぜて捏ねる。良い感じにネタができて、懐かしい気分になる。先ほど伸ばした皮でくるんでいく。餃子を包むテクニックはそれなりにあるつもりだが、皮を麺棒で薄く伸ばしすぎたようだ。大きすぎる上に薄っぺらく、包むのが難しい。具の量もよくわからず、とにかく形にしていく。なんだか皮が足りないと思いながら作っていくと、ずいぶん具が余ってしまった。市販の餃子の皮を20枚追加して、包むと自分の用意した皮が薄っぺらすぎて大きすぎることがよく分かる。それでも具が余ったところで、妻が冷蔵庫に餃子の皮の材料が一本残されているのを見つけ、追加の皮を作った。市販の皮を参考に大きさや厚さを調節し、大変良い塩梅になった。
フライパンで焼いて、蒸して出来上がり。
もう一度作れば、遥かに食べやすい餃子ができると思う。近日中にまたチャレンジしたい。
残念ながら、画像は残していない。

母の命日

命日は年に一度巡ってくる。
母の3回忌だが、緊急事態宣言(新型コロナウイルス感染症の流行)の影響を受けた。
実家のある北海道では一段落したようだが、私の居住地では依然として緊急事態宣言が解除されていない。父や姉妹には申し訳ないが、帰省を見送った。
代わりに花と菓子、お酒を送った。
親族に会えないのは残念だが、やむを得ない。運が良ければどうということはないのはわかっている。
母の命日に、遠く離れた自宅で、母の遺影を食卓に置いて、線香を焚いて、母の思い出を語りながら家族でケーキを食べた。
私にとって、母の思い出が薄い理由を考えた。母は長く患っていた。

色々なことが思い浮かぶ。いつか整理して考えてみたいと思う。


歩いている。
走る時間がなかなか取れずに、歩くことにした。
職場から、途中の駅まで歩いて電車に乗る。おおよそ12kmほど歩くと青木駅までたどり着く。
走るのと歩くのでは、運動の質、そして得られる成果がずいぶん違う。使う筋肉が違うようだ。歩くときついが、だからといって走るのが早くなるわけではない。そもそも、歩くのに腕はほとんど使わない。心肺にかかる負担も少ない。いくら一生懸命歩いても、走るのが速くなるわけではない。残念ながら。
日が暮れて暗くなってから、毎日同じような道を2時間近く歩くことは、結構なストレスであまり楽しくないことがわかった。

通販

色々なものを通販で買う機会が増えている。
今まで使っていたものと同じもので良い場合や、買い足さねばならない衣類などは、わざわざ店頭で探すより通販の方がメリットが大きく、合理的に感じる。あとは価格と送料の兼ね合いである。
ジョギングシューズは年に3足ほど履き潰す。気に入ったシューズのサイズもわかっているので、通販サイトでディスカウント価格で売られているものを見つけたら、二足くらいまとめ買いする。BrooksかNewBalanceの8.5D。それ以外を買うときは、通販では無理で店舗で試着する。
普段はブルージーンズを履いている。4本くらいをローテーションさせている。この30年くらい、つまり物心がついてからLevi's501を穿き続けている。穿き続けていると、同じ型番・サイズでも時期によって履き心地がずいぶん違うのに気付く。妙にウエストが緩かったり、腿がキツかったりすることがある。キツいはともかく、ゆるいのはやや残念に感じるが、ウエストが緩ければベルトを使うのである。
サイズは最も細いものなので、それが緩くて穿けないと言い出すと、もう自分に合うサイズがないことになる。ジャストフィットと言えなくても、Shrink-to-fitで穿きながら合わせていくのである。穿いているうちに何となく良い雰囲気になるが、10年以上も穿き続けているとそのうちにヒップなど肝心なところが擦り切れて、諦めざるを得なくなる。そうなると、妻が情け容赦なく切り裂いて、台所の雑巾がわりに使われてお払い箱に入る。
何年かに一本がこういう運命を辿るので、その都度に一本を買い足す。
今回初めてジーンズを通販で購入した。
サイズは決まっていて、色はオリジナルの真っ青を買うことにしている。
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Levi'sのサイトを見ると、高い。結局、Amazonで検索して、選んだ。裾は切らなくても穿けるので、通販で十分。なぜ今まで通販を使わなかったのか、自分でもよくわからない。届いたジーンズにはドル表示のタグがついており、アメリカから輸入したのだろう。製造国はエジプトとなっていた。
まずは一度洗って、それを大切に穿いて体に馴染ませていく。そういう過程はちょっと楽しみでもある。
ジーンズは若い人の方が似合う。私はずいぶん歳をとって尻の筋肉が落ちた。ややみっともない感じになっている。体重やウエストのサイズは変わらないが、姿勢が悪くなっている。自分を見直す必要があると思う。

ハンバーグを作る

大変良いお天気に恵まれた週末である。
犬くんと朝の散歩に出かけたが、あまり歩こうとしない。いつも同じ道なので飽きたのかもしれない。
お昼前に着替えてジョギングに出かけた。
昨日と途中まで同じ道を通る。山を上って明治村(という喫茶店)で昨日は左に曲がったが、今日はまっすぐ進む。それから右に折れて霊園や貯水池の前を通り、神呪寺からピクニックロードを通って、宝塚から仁川へ。その後は中津浜線から旧西国街道を通って帰ってきた。
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気温が高かったことを差し引いても、大変きつい。脚力の低下を感じる。疲労のせいか、気候のせいか、歳のせいかもしれない。よくわからない。
家に帰ってきた時は消耗し切っていた。21kmほどの道のりで、起伏もかなりあるので、疲れて当然とは思うが、全く心地よくない。
帰宅してから、少しのんびりしていた。夕方から夕食の準備をした。ハンバーグ作りである。
レシピ通りに作る努力をする。玉ねぎをなるべく丁寧じみじん切りにして炒める。
急遽、人参のグラッセも用意した。こちらは割と簡単である。
まぁまぁうまくできて、皆喜んで残さずに食べてくれた。
妻がチョコレートをくれた。妹からもチョコレートが送られてきたが、これは我が家全員に対して。
妻と娘が実家に行ったら、義母がチョコレートをくれた。
そのような週末を過ごした。

地震速報が流れた

土曜日は少し寝坊する。
妻は仕事があるので、いつも通りに起きて、私もそれを追いかけて布団から出る。
六つ切りの食パンを2枚焼いて、バターと蜂蜜、それからコーヒーで朝食を済ませ、犬くんと散歩に出た。
犬くんは、去勢手術から2週間あまり。抜糸も終えていつも通りの生活に戻りつつある。
昨日、獣医に連れて行って抜糸してもらった時は、診察室で大暴れした。首にエリザベスカラーを巻いて、私が抱き抱えて前足を抑え、妻が首を押さえて助手が後ろ足を抑えて獣医が抜糸した。2週間洗濯もせず着たままだった水色の服(犬の術後用の特別な服である)は糞尿が染み込んで、ひどいことになっていたので、ハサミで切って捨てる事になった。あまりの汚さに触るのに躊躇していたので脱がせることができてほっとした。犬くんは歩いて自宅に戻ったが、しばらくは興奮して私達に噛みつこうとしていた。妻がボールで遊んであげているうちに、機嫌が戻ってきたようだ。
犬くんは、名前を未来という。去年の4月に生まれたので、ちょうど10ヶ月になる。体重は今日測ってみたら10.5kgだった。芝犬のはずである。
生まれた後に障害が見つかって、売り手が付かず、ペットショップからブリーダーに戻されたところで、幸運にも保護活動をしている山本氏と出会った。
我が家では、長年同居していた柴犬が死んでしまって、とても寂しい思いをしているところだった。できればまた犬と生活したい。次に飼う犬は保護犬を引き受けようと話していた我が家に、保護活動をしている山本氏を獣医から紹介され縁ができた。ミライは我が家にやってきた。
未来という名前は、保護犬に山本氏が仮につけた名前で、結局そのまま我が家でもその名前で呼ぶことになった。普段はミライ、ミイくんと呼ばれている。
山本氏から柴犬と言われたので、柴犬と信じているが、血統書のようなものはない。
見かけは間違いなく柴犬と思う。赤毛で鼻筋が通ってつぶらな眼をしている。耳は大きめでまっすぐ立っている。尻尾は太くて巻尾である。先端だけ黒い。
ミライの障害は、視力が弱いことである。保護犬を引き受けるときに、ほとんど見えていないと説明を受けた。我が家に来る前に獣医の元で簡単な検査を受け、瞳孔反射はあるとのこと。つまり、目の中に光は入って、網膜まで届いていることになる。ミライは視線も向くべき方向を向いているように見えるし、瞳孔の中が濁っている様子もない。見かけからは視力が悪いことには気づかないと思う。
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我が家にきたときも、しばらくは家の中の様子を伺っていたが、そのうち慣れると何にもぶつからずにまるで見えているように歩き回り始めた。
ミライの目が見えているのかどうか、一緒に生活していてもよくわからない。全く見えていないわけではなく、少しは見えているのではないかと思う。
何かにぶつかることはほとんど無い。しかし、階段の上り下りには苦労している。床に落ちた餌を探すのも苦手のようだ。餌を投げて、空中でキャッチするようなことは全くできない。
やはりほとんど見えていないのだろう。視力そのものよりも認知の問題なのかもしれない。
散歩させていると、ミライは耳と鼻を大きく動かして、周囲の様子を伺っている。
聞こえてくる音に大変敏感である。玄関ベルの音や、電話の呼び出し音に異常な反応をする。興奮して駆け回る。散歩中も、すれ違う自動車や自転車、キャスター付きの旅行鞄の音に驚いて蹲って動かなくなる。
すぐに口が出る(噛み付く)のも、トイレトレーニングがうまく進まないのも、目が見えていないためと思う。
ミライにとって限られたコミュニケーションの手段の中で、吠えたり、舐めたり、噛んだり、放尿したりするのだろう。
全てがミライの個性である。
昼過ぎからジョギングに出かけた。久しぶりに山を走った。気候が良く、ずいぶん暖かい。大変疲れた。脚力の衰えを感じる。仕事帰りにウォーキングしているが、歩くことと走ることは、動作として全く違っているようだ。大変辛かった。汗だくになった。
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その後、遠隔会議に出席するために職場に行った。バイクに跨ったが、体力的に結構厳しい。ミライに噛まれた手のひらの傷が痛む。zoomの会議なので自宅からでも参加できるが、おそらく邪魔が入って苦労すると思ったので職場から参加することにした。まぁまぁ有意義な会議だったと思う。


風呂に入っていたら、突然息子が脱衣所から扉越しに声をかけてきた。地震があったという。
福島県沖を震源とする地震で、震度6を記録していた。
子供たちは10年前の地震のことを思い出し、動揺していたようだ。
停電や断水、道路の不通などが伝えられ、怪我人も出ているようだ。ニュースを見ながら、子供達と色々な話をしていると、普段はアホくさいと思ってスルーしているニュースについても、はっきりと意見を求められる。誤魔化しが許されない。自分にとって良い刺激となる。