生活

面白いことは特にない、ただの日記です(投稿後に、二三日かけて書き直します)

ワクチン接種の問題点

世田谷区若手医師の会によるまとめ

感染症が猛威を奮っていた時に、ワクチンは救世主でした。この卓越した医療技術により、多くの命が救われました。特に、ある集団の構成員の殆どがワクチンを接種することにより、その集団から病原菌が追い払われる、という相乗効果も得られました。しかし、いかに半殺しにした状態とはいえ、たまたまそれによって発症する場合があり、その場合には、その周りの人が同時にワクチンを接種してあることによって得られた免疫機構で、それ以上の感染者を出さないですむという、シールド効果があり、これが「集団」で予防接種を行う意義だったのです。
しかしながら、感染症が克服されて行く段階で、いくつかの問題点も浮かび上がってきました。その一つは、ワクチンそのものの製造に関する問題としての「商品としての品質」で、初期には力価がばらついたり、混入すべきでないものが入っていたりしたことです。また、もう一つは、予防接種を行う際の医学管理の問題で、たまたま生じた副反応やアナフィラキシーショックに対する対応が十分でなかったり、経験不足のために、接種してはいけない人に接種してしまったために生じた、様々な後遺障害も起こりました。また、健康な子供や人に接種を「国」が義務付けた場合、もしそれが原因で発症したり、ショックなどの健康被害が出現した場合、「集団を守るために、一個人が犠牲になった」わけで、この犠牲者に対して、国がその個人の生涯の生活を保障する、という手厚い保護が加えられるべきです。しかし国は、ついこの間まで、その義務を怠ったっていたことなどが問題になりました。
 現在の先進諸国では、これらの問題を克服するために、多くの努力を行っています。日本では、予防接種のガイドラインやパンフレットを配布したり、医学管理の徹底化を押し進めていますが、欧米諸国に比較して、その遵守や情報の開示に熱心とはいえない状況です。保障に関しても、犠牲者を手厚く保護するという「愛情」が伝わってこないやり方に、一般市民は怒りを覚えています。特に、予防接種の被害を最低限にしようとする努力は、ワクチンの開発やその接種方法の改善と呼応して是非進めていかなければなりません。そして、医学的見識とは関係のない「情緒的なワクチン反対運動」によって、再び日本が感染症大国に後戻りすることのないように気を付ける必要があります。無農薬野菜の調理に慣れない主婦が増えたことによって、寄生虫病の発症が増加しているのも一つの警鐘でしょう。そうさせないためには、ワクチンと予防接種に対する、国民の理解と協力なしには得られないことを国と地方自治体は認識し、すべての情報を internet上に開示して、その審を問うくらいの姿勢が必要なのではないでしょうか。