生活

面白いことは特にない、ただの日記です(投稿後に、二三日かけて書き直します)

2020年5月

いつもと違う5月が終わった。
感染症の蔓延を恐れて緊急事態が宣言され、日常が自粛という言葉のもとに制限された。
この事態が後世にどのように評価されるかわからない。評価をする後世が後世に残っていれば、何らかの評価が下されるだろう。
私はすべての他人と可能な限り接触しないことを選び、家族もそれに従った。もちろん、職場があって、その中のルールに従がって制限される中での接触はあった。
職場の大学では、キャンパスが閉鎖され、学生が締め出された。妻の職場は観光に関わる職種で、仕事を失った。長女は5月に入る前に発熱し、十分な診断を受けられずに自主隔離することになった。一人暮らしをしていて、実家にも寄り付かなかった。次女は派遣社員として事務仕事をするために、ほとんど毎日出勤していた。自粛を強いられたことが規則正しい生活につながっていたかもしれない。週に一度くらい、在宅勤務があった。三女はバイト先の再開の目処がたたず、自宅でのんびりと過ごしていた。給付金をいくらか受けているようだ。長男は、大学が始まらず、自動車学校も閉鎖され、手に入れた古いタブレット端末と無線キーボードを使って大学の遠隔講義に取り組んでいた。
政府の対応を私はポジティブに評価していて、我が家の面々は難治性の肺炎に罹患せずに済んでいる。私が、病棟に駆り出されるという最悪の事態も回避できている。このまま収束に向かうとは思っていないが、今までの慎重な対応は功を奏しているとみている。それだけに、軽はずみな自治体首長が前のめりにならないで欲しいと思う。
経済が大切というのはわかる。しかし、感染症を押さえ込むことはそれ以上に大切なことだ。
自粛によって経済が回らなくなることに対応するのが政治の役割である。


犬さんが死んでしまった。
犬さんは、我が家に来て14年近くになる。子犬の時にやってきて、家族の一員として生活してきた。アレルギー性皮膚炎で苦しんで、膀胱結石で血尿が出て、白内障で失明しており、多分聴覚や嗅覚も弱っていたようだ。
あまり食事を取らなくなった。
左の後ろ足を引きずるようなそぶりを見せ始めた。
室内で失禁することがあり、急に弱り始めた。支えて歩かせていたが、それも叶わなくなり、寝たきりになって二週間ほどで息絶えた。
結婚記念日に犬を含めた家族の数のバラを買って、食卓に飾って記念日を祝った。犬さんは家族皆に見守られながら、その翌日の朝に動かなくなった。
私は犬さんとの生活を失った。
この気持ちを文章にするのはなかなか難しい。犬さんは家族の一部だった。
決して裏切らない、信頼できる友だった。大変大きな痛手である。
手助けしてくださった、獣医の先生。長女の友人とその家族にも感謝している。