生活

面白いことは特にない、ただの日記です(投稿後に、二三日かけて書き直します)

携帯電話を持たないという面倒

私は携帯電話をもっていない。もつことに興味がない。きっと便利で面白いものなのだろう。周りの人々が虚ろな目でケータイに取り憑かれたようになっているのを見ると、きっと面白いのだろうと思う。私も使い始めれば熱中するだろう。片時も手放せなくなるかも知れない。タバコとよく似ている。
私は敢えて拒否していると言っていい。
私がもたないから、家族の誰ももたない。中三の長女も携帯電話を欲しいと言わない。興味がないみたいだ。友だちからメールが来るが、彼女は自宅のパソコンにメールアドレスをもっている。中一の次女、小学5年の三女、いずれもケータイが欲しいとは言わない。その代わり、居間に置いてある共有パソコンを時間帯の制限は付けているが、自由に使わせている。
将来、子どもたちはケータイを持っていないために、疎外されたような気分になることがあるかも知れない。まぁ、その時はその時で考える。今のところはまずまず上手くいっている。
ところが、世の中は全ての市民が携帯電話を所持していることを前提としてシステムが組まれつつあるようだ。簡単な話、私の職場には公衆電話がない。全ての人が携帯電話を持っているから、必要ないと云う発想だ。もっていない人がいるのだから、設置して欲しいという要望にいちいち応えてはくれないだろう。
そんなような調子で、世の中全体が携帯に依存しつつある。もっていない私が時々不自由を感じる。さまざまな害を指摘し、子どもから携帯を取りあげようという動きがある中、社会そのものが携帯依存を深めて居ることは大きな矛盾だ。携帯をを使わない生活スタイルに社会の仕組みを摺り合わせようとする動きは全くない、と言っていいだろう。