生活

面白いことは特にない、ただの日記です(投稿後に、二三日かけて書き直します)

マスクが無くなったことと芋の蔓

マスクについて書く。
総理大臣が、全ての家にマスクを配ると言い出した時、つまり日本のドラッグストアの商品棚からマスクが消えていた。
妻と三女が花粉のアレルギーで、マスクの買い置きがあった我が家はすぐに困ることはなかったが、いつ手に入るかわからない状況で、手持ちのマスクをいかに持たせるか苦心した。
マスク以外にも、消毒薬や体温計、ハンドソープなど、感染予防に必要な様々なものに加えて、トイレットペーパーまでが入手困難になった。
果たしてその時に何が起こったのか、誰かに検証していただきたいものである。
総理大臣が配ったマスクは、今にしてネタとしては秀逸だったと思う。
私は、昭和7年、8年に生まれた父母から、食べ物を大切にせよと教え込まれて育った。芋の蔓が入ったすいとんは当時の混乱を象徴する献立だったようだ。
今からおおよそ75年前の話だが、戦争が終わった後半年ほど、本当に食べる物が手に入らず、明日何を食べるか困った時代があったとのこと。その時食卓に上った「すいとん」が嫌でたまらなかったという点で、両親の意見は一致した。母が薩摩芋を嫌いになったのはその時の経験からとのこと。
マスクが無くなって、皆が本当に困っていた。
マスクの代用品として、さまざまなアイディアが出されて、キッチンペーパーや靴下やTシャツを使ったマスクのアイディアが提供された。残念ながら、ゴム紐が手に入らなくなった。政府は何も有効な手を打てず、総理大臣の配った粗末なガーゼマスクは結局使われずに家にある。どうやら、政府にとってマスクは感染予防の道具では無かったようだ。見た目マスクのような何かで顔の一部を覆うことが大切と思っていたのだろう。少なくとも、多くの市民がそのような受け取り方をして、衛生用品としてのマスクを手に入れることを諦めたように私には思えた。
一年が過ぎて、今はマスクが自由に手に入るようになった。体温計も売っているし、トイレットペーパーも商品棚に陳列されている。消毒液もお金を出せば手に入る。ウイルスを防ぐ方法についての知見も蓄積され、それらのものを適切に有効に活用すれば、私は日常生活を送ることができそうだ。
それで、社会は病疫を克服したことになるのではないか。
あとは、行政が社会の仕組みに対して適切な支援を与えれば良い。すでに戦いは終わった。社会は復興に向かうと私は信じている。