生活

面白いことは特にない、ただの日記です(投稿後に、二三日かけて書き直します)

疲れている

少し寝坊して、犬の散歩に出かける。
朝の散歩は、目的地が決まっている。往復でせいぜい1km余り。犬が真面目に歩いてくれれば、20分程度である。

犬は気まぐれで、途中で頻繁に寄り道をする。犬の寄り道は、彼の社会性を涵養する大切な時間であるので、なるべく邪魔してはいけない。
犬が、スタスタと歩くように少し工夫する。先に歩く犬に対して、私自身が少し速足になり、リードを緩めながら歩くと犬は歩くペースを上げる。
国道の手前にある欅の大木の植え込みまで歩いて、首周りをさすって、櫛を通してあげてから欅の周りを一周して折り返す。帰り道は、犬の足が早まる。
犬と毎朝散歩するようになって、私の生活が規則正しくなった。毎朝、同じ時刻の電車に乗って出勤するようになった。目覚ましを鳴らして、起きようとしている。目覚ましで起きられなかった時に、寝坊したと自覚するようになった。
私が寝坊して時間が足りなくなったら、どこかでその時間を生み出さなければならない。
取り敢えず、朝食を抜く。出勤の途中でサンドイッチを買って、職場についてからコーヒーを飲みながら食べる。少しコストが余分にかかるが、サンドイッチは美味しい。

君たちはどう生きるか

吉野源三郎著 岩波書店
1937年に新潮社から出版された。「日本少国民文庫」の第12巻。
このストーリーについて、作者の吉野が1967年に自ら解説文を書いている。
中国大陸の戦争が始まり、すでに言論や出版の自由が著しく制限され、労働運動や社会主義の運動が激しい弾圧を受ける時代背景で、作家も自由な執筆が困難になっている中、編者の山本有三氏が、ファシズムに対抗し、自由で豊かな文化と人類の進歩ついての信念を養い、ヒューマニズムの精神を守るために、少年少女の双書の刊行を思い立った。
物語では、15歳の少年がさまざまな経験をする。彼が直面するのは、戦時下という状況を勘案したとしても、社会の矛盾である。
クラスでいじめられる豆腐屋のクラスメートの厳しい生活を目の当たりにして、おじさんが彼に伝える話は、今の憲法で言うところの生存権である。
生意気だと、上級生に呼び出される。「愛校心のない学生は、社会に出ては、愛国心のない国民になるに違いない、愛国心のない人間は非国民である。」という理屈で、愛校心のない非国民の卵は制裁という名の暴力を振るわれる。上級生たちが、他人の過ちを責めたり、それを制裁する資格が自分たちにある、と思い上がっていることを大きな誤りと指摘する。このような雰囲気は、すなわち「ファシズム」である。
それから、85年を過ぎて、その間に多くの事例があってそれに基づく反省があった。実際に、国と国民は、一度滅亡寸前に追い込まれ、反省に基づく国のあり方を受け入れた筈だ。
厳しい世相の中、大変な危険を冒して物語は出版され、読まれた。そして今なお読み継がれている。今の世の中を透かして読み直してみると良い。
今、それだけの勇気を持って、「君たちはどう生きるか」を示してくれる誰かがいるのだろうか。